概要
田中 邦衛(たなか くにえ、1932年(昭和7年)11月23日 - 2021年3月24日)。日本の俳優。岐阜県土岐郡土岐津町(現:土岐市)出身。田中 邦衛は本名。
アクの強い風貌の個性的な脇役として活躍。ドラマ「北の国から」では子どもたちの成長を見守る不器用な父親を演じ国民的人気を集めた。故郷で代用教員をしながら三度目の挑戦で俳優座養成所に合格。加山雄三の若大将シリーズでライバル青大将を演じ注目を集める。高倉健「網走番外地」菅原文太「仁義なき戦い」など数々の人気シリーズに出演、スターを支える貴重な脇役として活躍した。「北の国から」で黒板五郎を演じ、国民的俳優となった。他にも、『現代任侠史』『タスマニア物語』など多数の映画やドラマに出演。平成6年山田洋二監督「学校」で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞、『子連れ狼 その小さき手に』の演技でブルーリボン賞の助演男優賞受賞。旭日小綬章受章。日本を代表する名優の一人となった。
プロフィール
1932年(昭和7年)11月23日誕生
岐阜県土岐市で100年以上続く美濃焼の窯元の家に生まれた。麗澤短期大学英語科卒。短大卒業後、故郷の岐阜で中学の代用教員(助教諭)を十ヶ月間務め、国語、英語、体育を教えていた。しかし教育者としての自信が無く、子供を叱れず、教師を辞めようと思った時に、一旦諦めかけていた役者の道を進もうと決意。
1955年(昭和30年)(23歳)俳優養成所入所
3回目で合格。養成所7期生。
1957年(昭和32年)(25歳)映画初出演
1957年、今井正が監督した映画『純愛物語』に初出演。そのアクの強い風貌から、アクション映画でチンピラや殺し屋役を演じる。
1961年(昭和36年)(29歳)東宝映画『若大将シリーズ』出演
1961年の東宝映画『大学の若大将』では、加山雄三演じる若大将のライバル・青大将役で出演した。全18作に出演。若大将への敵愾心を燃やすが毎回軽くいなされるコミカルで憎めないキャラクターを好演し、「若大将シリーズ」不動のレギュラーとなる。
岡本喜八にも気に入られ、監督別では最多の11本に出演している。助演が多いが、最後の『近頃なぜかチャールストン』は彼としても数少ない主演作であり、ヒロイックな役柄でもある。
1965年に出演したフジテレビのドラマ『若者たち』は映画化され、第22回毎日映画コンクール男優主演賞を受賞し、お茶の間にも知られるようになる。
同年からスタートした「網走番外地シリーズ」で高倉健演じる主人公を慕う舎弟をコミカルに演じた。
1973年(昭和48年)(41歳)「仁義なき戦いシリーズ」出演
1973年から始まった「仁義なき戦いシリーズ」では、それまでのイメージを一新するずる賢いヤクザ・槙原政吉を演じ、脇役の地位を確固たるものにした。1970年代は、東映の実録映画を中心に強い印象を残した。
1973年、井川らと俳優座を退座する。安部公房と行動を共にした後フリーとなる。
1981年(昭和56年)(49歳)『北の国から』シリーズ出演
1980年代以降は映画への出演は減るが、1981年からの『北の国から』シリーズでの葛藤を持ちつつも2人の子を温かく見守る父親・黒板五郎役が全国的に知られることになる。
1990年(平成2年)(58歳)映画「タスマニア物語」出演
1990年邦画配収2位。
1993年(平成5年)(61歳)第17回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞
1993年、『学校』にて苦労しながら夜間中学に通う労働者役を演じ、第17回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞。
1988年から1995年まで出演した大正製薬「大正漢方胃腸薬」の年末のテレビCMでは歌って踊るエンターテイナーぶりを披露。コラムニストのナンシー関から絶賛を受け、作家の小林信彦からも高く評価された。
2010年公開『最後の忠臣蔵』出演。以降俳優としては表舞台から遠ざかる。
2012年6月29日、『北の国から』『岡っ引どぶ』など多くの作品で共演した地井武男が死去。8月6日に青山葬儀所で営まれた「お別れの会」では発起人の一人として名を連ねた。参列者代表7人による「お礼の言葉」では、吉岡秀隆の介添えで最後に祭壇の前に立ち「おいらまだ信じられない」「会いたいよ!地井にい(兄)、会いたいよ!」と悲痛な思いを地井の遺影に語りかけた。この時の姿が公の前に立った最後の姿となった。
2021年(令和3年)3月24日死去
2021年3月24日午前11時24分、老衰のため死去。享年90(88歳没)。